好きと才能
世の中には本当に羨ましい才能を持っている人がいる。
そして、その才能を十分に発揮し、目標を達成する事で幸福を感じられる人がいる。
つまり、才能と好きの方向が一緒という事だ。
そういう人がプロと呼ばれる人になっていくと思う。
この才能と好きが「ねじれの位置」にあるのはとても悲しい。
小学生の時、空手道場に通っていた。
別に自分から習いたいと言ったわけではなく、親に連れて行かれた。
そもそも喧嘩なんか大嫌いなのに
無理無理無理!!!と思っていた。
しかし、皆さん、空手には「型」というものがあるのをご存知だろうか。
いわゆる「演舞」だ。
決まった動きを順番通りにこなし、そのキレとかしなやかさを競う。
僕はこの「型」がまぁめちゃくちゃに上手だった。
小3の時点で、この道場では大人含めても自分より上はいないと思った。
四国大会でも準優勝した。(準かい!)
食物アレルギーがめんどくさかったから全国大会は辞退した。
親はめちゃくちゃ喜んでくれた。
でも、僕は全然嬉しくなかった。
今でもハッキリと「なんじゃこれ」が頭の中を走り回ってたのを覚えている。
いざ相手を目の前にしたら、どんな攻撃を仕掛けてくるかわからんのに決まった動きをして、クライマックスになったら
「エイッッッッ!!!」
とか叫んで。
終わったら礼して審査を待つ。
そんで、判定が出たらまた礼して帰っていく。
どうゆうことなのよ。
実戦なら、礼して審査されてる間、敵は大人しくしてくれんの?
昭和の仮面ライダーじゃないのよ。
多分、邪念がなければ優勝出来てた。
ほんで、偉そうに「実戦だったら!」とか言う割に、組み手に出場したらチビやし、人殴りたくないし、殴られたくないし、力弱いしで序盤でボロ負け。
その度に泣いて、親に「泣くな!」言われて。
どうゆうことなん?
息子が好きでもないことに親が月謝払ってるってどゆことなん?
なまじ「型」が上手くて成績残すから続けさせられるし。
なんなん?
必ずしも「才能がある=好き」ではない。
を学んだ小学3年生だった。
逆はいっぱいある。
お笑いは好きだけど、ワイワイ盛り上がってるところはめちゃくちゃ苦手。
バスケットボールは当時のNBA全チームのスタメンの身長体重を暗記するくらい好きだったけど、全くセンスなし。
文章は読むのも書くのも好きだけど、まさにここまで読んでみて分かるように文才はない。
好きと才能が親友のように肩組んでる人は本当に羨ましい。
ここまで読んでくれた人ありがとうございます🙇♂️